TNFD対談(2022年6月)

2022年6月にTNFDの事務局長トニー・ゴールドナー氏とキリンホールディングスのCSV戦略担当役員が対談しました

TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures) Executive Director
トニー・ゴールドナー氏(中央)

キリンホールディングス株式会社 常務執行役員(CSV戦略担当、グループ環境総括責任者)
溝内 良輔(右)

同執行役員CSV戦略部長
藤川宏(左)

TNFD日本協議会設立会合にあわせて来日されたTNFDの事務局長とキリンホールディングスのCSV戦略担当役員が2022年6月15日に対談を行いました。自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD:Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)では、自然に負の影響を与える資金の流れを転換させ自然に良い影響をもたらす「ネイチャー・ポジティブ」な経済を促進させるために、自然関連リスクを組織が報告し行動を起こせるようにするためのフレームワークの提供をめざしています。

キリングループの統合的(holistic)なアプローチについて

トニー事務局長:5月末に開催された経団連自然保護協議会のTNFDウェビナーに参加した際、キリングループがスリランカの紅茶葉に関するケーススタディーについて発表されていました。紅茶のサプライチェーンに関する御社の考え方を非常に興味深く拝聴しましたので、日本を訪問する機会に、御社に伺いお話を聞くことを楽しみにしてきました。スリランカで気候変動と自然資本の両方に対して取り組まれているという点で非常に興味があります。なぜこのような取組みを開始されたのですか。


溝内常務:気候変動による農業への影響を社会に気付いてもらうことは弊社の義務だと感じているからです。私たちは気候変動、生物多様性、水といった環境の課題は個別の問題ではなく、相互に関連し合っており統合的に取り組む必要があると考えています。気候変動と自然資本の両方について脆弱な地域として、茶葉の重要な産地であるスリランカに着目して活動をしてきました。

トニー事務局長:環境の課題を統合的に解決していくべきだという考え方には、非常に共感するところがあります。一方で、気候変動関連の取り組みに注力するあまり、自然資本まで手が回らない企業も多くあります。キリングループでは如何ですか。

溝内常務:我々の事業は飲料と医薬が中心であり、自然資本に依存しています。原料である水や農作物が抱える課題に取り組む必然性から、統合的なアプローチの必要性を理解出来たと考えています。食品以外の企業ではこのような機会は少ないと思いますが、水は普遍的な課題であり気候変動とも密接に関係していますので、TNFDを広げて行くには水問題を入り口にした方が良いかもしれませんね。

トニー事務局長: 水に関してはすでに世界中で測定基準がある程度確立されていますので、多くの企業に対する良いアドバイスだと思います。御社では、自然関連リスクをどの程度分析しておられますか。

溝内常務:飲料事業に関する自然関連リスクはある程度把握ができていると考えています。マテリアリティ分析により、紙と紅茶葉、パーム油、大豆、コーヒー豆にプライオリティを置いています。これらの農作物については、持続可能な森林や農業を踏まえた調達に貢献したいと考えています。医薬事業ではバイオテクノロジーを利用していますが、生物資源への依存度は小さいと判断しています。

TNFDのトライアル開示について

トニー事務局長:キリングループは、LEAP※1を試行的に開示した世界で最初の企業※2だと思います。LEAPでの開示にトライしてみた感想をお聞かせいただけますでしょうか。

溝内常務:もともと気候変動と生物資源に統合的に取り組んできたこともあり、「場所」と「依存性」に着目したLEAPアプローチの考え方については違和感なく直感的に理解することができました。TCFDシナリオ分析※3でも、物理的リスクとして生物資源と水に関する分析を行っています。

トニー事務局長:こういった自然資本の情報開示は、企業の意思決定に役に立つと思いますか。

溝内常務:非常に有益だと思います。気候変動のように地球規模で影響のある温室効果ガスと違って、水や生物資源の問題は地域によって異なります。LEAPが提唱する「場所」に関連する問題提起や、物理的リスクとシステミック・リスクを分けて考えるアプローチも、自然資本、気候変動の問題を持続可能性の観点で考える上でよい視点だと思います。

トニー事務局長:システミック・リスクは、どちらかと言えば中央銀行や政策立案者向けの提案でした。メーカーであるキリングループで参考になったというのは非常に興味深い話です。最も難しい点は何でしたか。測定基準やデータの取得ですか。

溝内常務:測定基準です。どうやって目標を設定すればよいのかはまだ検討中です。水については生物資源よりわかりやすく、温室効果ガスの排出量に比較的近いと思いますが、他の生物資源でKPIを設定することは難しいだろうと感じています。

トニー事務局長:測定基準は様々提案されていますが、正しいKPIの設定には懸念事項もあります。企業はこれまで事業が自然に与える一方向のインパクトについてしか議論できていません。御社とは異なり、一般的な企業では、例えば受粉などの生態系サービスのリスクなど、ビジネスが自然資本にどのように依存しているのかについて認識もできていないのが実態です。SBTN※4は企業の自然資本に対する目標設定を支援していますが、目標設定に取り組む以前の課題がある訳です。企業の目標は長期的な持続可能性に関連しているべきですが、エコシステムの健全性が何なのかわからない状態の中で、企業は目標設定を求められています。このような状況の中で、例えばそれへの対処として政府等が目標を設定すべきだと思いますか。

溝内常務:国際的な目標ができ、その達成に向けた目標がカスケードダウンされれば従いますが、我々はすでに気候変動によって事業に大きな影響を受けているので外部の目標設定を待っている訳にはいきません。自分達で自分達の目標を見つける必要があると考えています。例えば2年前のカリフォルニアの山火事ではワイン用のブドウ畑が煙害の影響を受けました。煙の臭いが付くために赤ワイン用のぶどうは使用できなくなり、ワイン産業は甚大な影響を被りました。台風による影響も経験しています。生物資源などの自然資本へのリスクを最も理解している私たち食品産業には、これらのリスクを社会に知らせる役割があると考えています。リスクが広く共有されることで対策が進めば、最終的に事業にも寄与します。そのためにも、科学的な目標設定のアプローチは重要です。

トニー事務局長:生物多様性条約COP15※5など生物多様性の枠組みについての議論は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり遅れています。気候変動とは異なり、自然資本の影響は地域ごとに異なるため、ローカルレベルでのエコシステムへの影響に関する目標に置き換える必要があります。世界的な目標をどうやって地域レベルに落とし込むのかについてもまだまだ問題が山積みであり、エコシステムの健全性を測定する一貫した方法の構築にも時間がかかりそうです。COP15での議論の進展に期待しています。

今後について

トニー事務局長:TNFDではグローバルサプライチェーンのパイロットテストを実施する予定です。是非、これまでの知見を活用して参加していただけないでしょうか。

溝内常務:もちろんです。私たちは、SBTNの水セルフパイロットにも参加しています。オーストラリアのLion社の工場を対象に検討を進めています。

トニー事務局長:今後は、TNFDフレームワークとSBTNの目標設定の連携が必要です。この2つに取り組んでいる御社の知見が、TNFDとSBTNの連携策を探る上でも参考になると期待します。

溝内常務:今年発表した環境報告書の中で、TNFDが提唱するLEAPアプローチを使った試行的な開示を行ったのは、SBTNやTNFD、TCFDのような国際的な組織と協力して持続的な社会の実現に貢献したいと考えているからです。

トニー事務局長:素晴らしい考え方だと思います。御社の環境報告書で公開されたLEAPによる開示は、TNFD事務局だけではなく多くの企業の参考になると思います。TNFDでは、ISSB※6とも連携をとることで、サステナビリティ報告に関連するルール作りやグローバルスタンダードのベースラインを作ることができると考えています。

溝内常務:私は日本政府のISSBの公開草案について意見をまとめる研究会の委員もさせていただいています。先日、研究成果を元にIFRS財団に意見書を提出しました。

トニー事務局長:ISSBは現時点では気候変動に焦点をあてていますが、次のアジェンダをどうするのかの議論が開始されています。TNFDはそのアジェンダに「自然」を入れたいと考えています。IFRS財団が来年の早い時期に「自然」を対象とすることが理想です。

溝内常務:それはよいアイディアですね。

トニー事務局長:是非サポートをお願いします。

溝内常務:日本は10年後に、脱炭素化だけではなく自然資本の保全と持続可能な利用でも世界をリードできると確信しています。自然資本は私たち日本の文化とも密接につながっており、身近なものだからです。この分野で日本の強みを生かし、これからの成長産業を育成できると思っています。

トニー事務局長:来年日本で開催されるG7は、日本がリーダシップを発揮する良い機会になると考えています。TNFDのForumに最も多くの企業が参加しているのは日本です。多くの政策担当者が、来年の最優先課題は「自然資本」になると想定しています。政策的な観点から推し進めるためには絶好のタイミングになるでしょう。今日はありがとうございました。

  1. LEAP:TNFDベータ版フレームワークの中で提案されている自然関連リスクと機会の評価アプローチ。LEAPは、Locate、Evaluate、Assess、Prepare(発見、診断、評価、準備)という4つのアプローチを意味しています。
  2. TNFDのLinkedInで、キリングループが環境報告書2022年版で自然関連のリスクと機会評価についてTNFDが提案するLEAPアプローチをパイオニアとして先駆的に活用した事例が紹介されました。(2022年8月15日)
    https://www.linkedin.com/posts/taskforce-on-nature-related-financial-disclosures-tnfd_tnfd-naturalcapital-nature-activity-6964860358343692288-IfR2/?utm_source=linkedin_share&utm_medium=member_desktop_web
  3. TCFDシナリオ分析:最新のシナリオ分析は下記で開示しています。
    https://www.kirinholdings.com/jp/impact/env/tcfd/
  4. SBTN:自然資本に関する科学的根拠に基づく目標を設定し、持続可能な地球システムの実現を目指す団体であるScience-Based Targets for Natureの略称。キリングループは、自然資本の目標設定イニシアチブ、SBTs for Natureコーポレートエンゲージメントプログラム(CEP)に国内医薬品・食品業界として初めて参画しています。
  5. COP15:生物多様性条約第15回締約国会議。
  6. ISSB:国際会計基準(IFRS)の策定を担うIFRS財団により2021年11月に新たに設立された団体であるISSB(国際サステナビリティ基準審議会:International Sustainability Standard Board)は、サステナビリティに関する国際的な開示基準を策定することを目的としています。
  7. IFRS財団:国際会計基準(IFRS)の策定を担う民間の非営利組織。